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ながさわさんのアレグロモデラート

アレグロモデラート(Allegro moderato)は、速さを示す演奏記号で「穏やかに速く」

予定調和で、やりつくしたというよりは、もう、考えてもしょうがない議論


某所のバーカウンター。
20代後半だが、まだ学生をしているという、とある女性に素朴な疑問を投げかけられた。

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「義務教育で思うことがあるんですけど、なんで、義務教育でだいじなことを教えてくれないんですかね。」「というと?」「うーん、なんというか、ちゃんと勉強していないと、働けないというか、お金がもらえないというか。」「お金?」「いや、ちゃんと仕事できないというか、稼げないというか。」どうやら、自分の将来の夢をかなえるための勉強という議論と、お給料の額の話を混同しているようにうかがえたので、次のように問うた。

「ん。思うところは次の3つのどれに近いの?
1:社会に出るために最低限の勉強ができないと困る。
2:社会で自分のやりたいことを実現するためには勉強しなければならない。
3:勉強して大学を出たか出ないかでボーナスの額や昇給が違う。」

彼女は「えっと、2番ですかね。」と言った。対して「中学校までは、義務教育なのだから、最低限の勉強ができないと困るということなのだろうから、これは、義務やし、わざわざ教える必要もないだろう。」「そっか。」「さて、高校まで行ったときに、これは義務ではなくなるのだから、2番が適用されるんだろうけれども、とはいえ、高校は本来、任意の教育なのだから、これをわざわざ言葉に出す必要もないだろう。ただ、言うべきだろうし、僕は、そういったニュアンスのことは、言われていたからか、認識としてはあったけどね。」「あっ、そうなんですねえ。私は、なんかぼんやりと過ごしていました。だからこうやって今でも勉強しているんですけど。」

36歳の僕としては、予定調和で、かなり、やりつくしたというよりは、年齢的に考えてもしょうがないといったほうがよい議論なのだけれども、言葉や表現に出すとこういうことである。
とはいえ、理解ではなくて、実感という観点で別の言葉が高校生に投げかけられてもよいんじゃなかったのかという意味で「もし、仮に僕に子供ができたとしたら、実感を込めて、『うーん、大学行ってないと、ボーナスの値段が5万くらい違ってくるよ。昇給のスピードも違うしねえ。』とか『今は大学余りの時代やから、入れる大学はたくさんあるよ。そんで、大学入ったらたくさんコンパするんやで。人脈って財産やし。』とか言いたいなあ。」というと、「あっ、そうか、学校じゃなくて、家で教えてもらったらいいんですね。」そりゃそうだ。

「両親がそういうことを言いきれるかわからないですけど、比較的近い伯父さんとかが言ってくれたら、ファンキーで素敵だと思います。」というのが、実際の20代後半の感性。未婚のアラフォーもわからんではない。まあ、傍らで、「別にマスター(修士)まで行っても、必ずしもよい就職先にありつけるわけではないし、就職しても使いにくいよ。」という議論は身近で起こりそうだが、こういった議論は割愛。ぼくは前向きなギロニスト。後悔は先に立たないし、大事なことは、楽しく過ごすことじゃない?お勉強、ガムばってください。
 
 
ごきげんよう。