shin'nosuke さんのアレグロモデラート

アレグロモデラート(Allegro moderato)は、速さを示す演奏記号で「穏やかに速く」

演歌ブレイクダウン

ぼくは、ZONEのSecret Baseのことを、演歌だ、と信じてやまない。




というよりも、ZONEについては、言葉の選び方そのものが、思春期の日記のようで、さらに、サビの部分の、

君と夏の終わり
将来の夢を忘れない
十年後もまた会える

というあたりは、卒業や、(突破したかしないかはともかく)受験や、別れや、不器用に異性を想うことや、新しい生活や、14歳や、17歳や、その時代の歌に共感を覚えたことを経験する、すべての若者にとって、ひたすら、心から湧き出る言葉であって、すべての若者が、尾崎豊的に、一度は日記に書きとめる単語たちである。こういった単語を並びを、傷心的なメロディーにあわせて、歌い上げるのは、J-POPというより、演歌である。
さらに、演歌というのは、心に残る「単語」の並びを、音楽に合わせて歌っているだけである、という僕の考え方をつなげて、この曲を後ろ向きに評価したつもりだったのだが。

しかし。ほんとうの演歌というのは、単語の並びなんてどうでもよく、一般に洋楽の世界から言わせると、邦楽は詞が主張しすぎであるといわれるが、そんな主張なんかを、根幹から吹き飛ばしてしまうような、情念の世界であるのだと思った。



単語の並び。よこはま。たそがれ。ホテルの小部屋。くちづけ。残り香。たばこのけむり。ブルース。口笛。女の涙。あの人は行ってしまった。もう帰らない。

これだけしか言っていないのに、ものすごく深い情念が伝わってくる。これが演歌というものなのだろう。なにかを伝えるために多くの言葉は要らない。

天城越えは歌舞伎である。



鳴きのギター。あなたを殺していいですか。あなたと越えたいのは本当に天城の峠なのか。そして石川さゆりの見栄。かっこいい。言葉は若干多めだが、洗練され、選択しつくされた、情景を示す言葉の数々。この歌、いやらしいぞ。


そして、越冬つばめ。彼女について、子供のころは、どちらかというと野暮ったいおねえさんだと思っていたが、そんなことない。困った眉と若干垂れ気味の目、そして大きな口。山口百恵は、宇崎竜童とオトナ路線に走ったが、彼女は演歌の世界へ。しかし、彼女は着物より、長髪にドレスが似合うね。まあ、そんなことより、この透き通った声。歌にもよるが、語りかけるような歌声。これは演歌じゃないか、歌謡曲か。





創作の手法として、単語を羅列することは、簡単なようであるが、言葉を選ぶことはたいへんむつかしい。

最近は、短納期で低予算のプロジェクトばかりなのだが、たいてい、テクノロジーを把握しようとしないか、もしくはエンドユーザーと対等な会話ができないマネージメントによって、ろくすっぽ「もの」ができていない状態でテスト工程に入る。そのころに投入される、火消しのエンジニアーは、フレームワークないしは共通関数ができていないことか、業務設計が明確になっていないことについて、「破綻」だの「根本的」だの「要するに」という言葉を多用するんだが、もっと別の表現がないかと探すのも面白いし、僕に言わせれば、どんなプロジェクトであっても、破綻していない部分は、少しはあるわけだから、どの部分が破綻していて、どうすれば破綻しなくなるのかといった具体的な発言であるべきだろう。

そしてそれらの表現は言葉が多くなっては演歌にはならない。そして、このエントリーも演歌足りえない。韻も踏んでないからラップでもないし、単なる日記である。(オチ)