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ながさわさんのアレグロモデラート

アレグロモデラート(Allegro moderato)は、速さを示す演奏記号で「穏やかに速く」

35歳の高校生 18年前の私へ


日テレの土曜21:00のドラマ、35歳の高校生。最終回を見終わりました。
最後は涙が出て、鼻水をかみました。(笑)

最近のながさわさんがテレビドラマを見続けるということはめったにないのだが、このドラマは、久しぶりにつとめて見るようにしていた。弱冠18歳のなかに入り込んだ、35歳の米倉涼子が、悪に立ち向かうという、勧善懲悪な内容が、嫌いではなかったというのと、何かと、謎が多いその展開に、ようするに、馬場ちゃんの閉ざされた過去が何だったかということが、36歳の僕にとって、一番興味深い点だった。

とはいえ、馬場亜矢子とほぼ同い年の僕からしてみれば、本当に面倒くさい展開だった。やれ、スクールカーストだの、やれ1軍だの、便所飯だの、なんだのかんだの。馬場ちゃんが劇中で「意味不明」とよく言ったように、僕にも意味がわからなかった。いや、意味というか、そこで起きている現象や背景は理解できるのだが、なんで、そういった行動や発言になるのか、ということがわからなかった。きっと、これが、35歳が思う高校生と、2013年の18歳が思う高校生の違いなのだろう。

でも、このドラマの、そういった現代的な味付けは単なる演出にしか過ぎず、本当に訴えたかったことは、ブレていなかったような気がする。それは、ちゃんと学校に行き、高校を卒業しなければならない、ということだ。これは、実際のところ、18年前も、今も変わらない。

僕はあんまり高校に行っていない。卒業日数が足りていたのかは、いまとなってはよくわからない。恩師のはからいで、高校は卒業させてもらえた。滑り止めの高校だったから、高校を辞めたいといったこともあったのだが、18年後、いや、就職した14年くらい前に、ちゃんと高校を出ていてよかったと思った。高校を卒業できずに社会に出た馬場亜矢子はどうだったんだろう。いや、スタイルは抜群で、外車に乗っているという設定は行き過ぎなような気がするが、思春期のわがままのせいで、親を放棄し、高校を出られないまま、35歳にまでなってしまった彼女の心中察するに余りある。そして、担任が、高校を卒業させようと、亡くした母親の思いを遂げさせてあげようと、高校に入学する。たぶんねえ、35歳にまでなったら、高校卒業という資格はあんまり意味ないとは思うけどね、でもね。

彼女が取り戻すべきは、やっぱり、思春期の思い出だったんじゃないかな。それは、お母さんの日記に書いてあったこと。それがやっぱり全うな人生なのだよ。残念ながら、僕にはそれは少ない。そんな自分に重ね合わせながら見ていた。大学には行けなかったが、専門学校を出て、それなりに社会で実績を積んで、毎日、出勤するということが大事であるということをわかっている僕が、いま、高校という閉ざされた空間に身を投じた時にどうするだろうか。

36歳になって、何か、次の人生を考えることがある。次生まれ変わったら、毎日学校に行って、友達をたくさんつくって、親に経済的な負担がかかるかもしれないが、ちゃんと、入れてもらえる私立大学に行って、ちゃんと勉強して、公務員試験を受けて、26歳くらいで結婚して、親に早く孫の顔を見せる、というフツーの人生でいたい。僕はどこかしこで役人のことをボロカス言っていたのだが、役人のいろんな悩みを聞いていると、民間でいろんな人間関係に揉まれているのとそんなに変わらないと思うようになった。いや、公務員は、夢を追えるのかな。36歳で未婚の僕は、夢を追っているのか、何か。やっぱり、次生まれ変わっても、システムエンジニアーであるのかな。

次の人生。改められた次の人生。馬場亜矢子は35歳で高校生活をやり直した。いつになってもやり直しはきく。ぼくはいつまでたってもこのままのろくでなしだろうが、次の人生を、別の人に託したいと最近よく思う。それが誰かは、自分で作り出すしかないわけで、そして、きっと僕は「腹が出ているのは、ビールの飲みすぎたからだよ。計算式は…」という、理論に裏付けされた理屈っぽい、へんてこな家庭でありたい。


ごきげんよう。