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ながさわさんのアレグロモデラート

アレグロモデラート(Allegro moderato)は、速さを示す演奏記号で「穏やかに速く」

道徳の教科化

昨日今日で Yahoo! のニュースがやたら扱っているこの件。

【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 道徳の教科化に賛成する理由 - MSN産経ニュース

上記記事の論点は次の3つ。

1.価値観の押しつけに反対
2.道徳の教科化がいじめ問題解決につながらない
3.道徳は評価の対象になじまない

あい。

1.
そんなことよりも共有されるべき価値観を教えてあげることのほうが重要。国語はこたえがひとつではないという甘えた認識を抱きがちだが、ほんとうは、数学よりも冷たく正解がある。しかし、道徳に、こたえは、ひとつだけとは限らない。ただし、道徳というのは、人の道を教えるものであるから、なにが「正解」というよりは、なにが「正しいこと」であって、さらに、なにが「正しくないのか」という共通認識を、個の時代に甘えている子たちに、ちゃんと言葉で説明しなければならない。

2.
当たり前。いじめは道徳がもたらす価値観の共有とは別の、とても感情的な観点で起きるもの。理由のない暴力や、死に至らしめることは論外であるが、道徳の教科化は、いじめの問題解決を目指したことではない。個を重用する欧米の文化ではなくって、ひいひいじいさんのころから伝わる道を教えるものであって、それを教えたからといっていじめの問題解決に、必ずしもつながらないだろうが、つながらないわけではないだろう。あくまでも副産物であるととらえるべき。

3.
ううむ。そうだねえ。道徳のテストの正解には、価値観の「押しつけ」というより「統制」につながってしまいかねないので、正解を設けるのではなく、ある程度理路整然と、他を受け入れ、和を重んじ、大人の観点から理解できる回答であるならば、それは正解とすべきだろう。
しかしながら、

問題:
杖をついたおじいさんが電車で座るところを探しています。まだ長い道のりなのか、とてもつらそうです。席に座っている、あなたはどうしますか。

の答えは明白だろう。こういった人の道を教えるのが道徳なんであって、これを学校で教えなければならないのかということについても悲しいし、まあ、いろいろ悲しいね。


ファイヤー。