ながさわさんのアレグロモデラート

アレグロモデラート(Allegro moderato)は、速さを示す演奏記号で「穏やかに速く」

なぜならぼくはひらがな入力だからだ

 オンとオフの多面化について、ぼくにも違和感はあるにはあるが、なにか、たのしいものを積極的にシェアーしていこうという匿名性のない空間で、日ごろの自然発想をつぶやくように更新すると、それを、たのしいものをシェアーするという体でシェアーされる。自然発想を額面どおりにシェアーされたとき、それは、たのしくないものと理解される。だからその更新は自らで削除する。

 では、たのしいものをシェアーしようと思って、使いにくいタイムラインをはずそうと思ってもはずれない。(はずれない仕様。)プロフィール写真の変更や削除をしようと思っても削除がみつからない。(写真にマウスオーバーしてオプションを選ぶとやっとみつかる。)これがエクスペリエンスかといわれたらきっとそうではなくて全体操作の見通しを欠いているユーザーインターフェースであるといえるかどうかと考えたとき古きよき時代を知るわれわれが全体操作の見通しができるユーザーインターフェースがすぐれたものであるというのは価値観の違いによるものであるものであるだろうと自問する。

 ジェネレーション。この10年でパソコンはインターネットにもつながる便利な道具からインターネットプレイヤーというコミュニケーションツールであり検索すればなんでもわかったような気になれる空気に近いものになってきている。
 さらにウィンドウズはよりいっそうエクスペリエンスになった。そのなかでこの業界を志す若者たちは情報リテラシーはおろかコンピュータリテラシーもない。パソコンのほうはおりこうさんになってきているが、古きよき時代を知るひとではないとき、パソコンがなぜおりこうさんなのかわからない。

 オンとオフ。オンとオフ。使い分け。しかしできるだけ同じ。しかしシェアーの空間は限りなくたのしいオン。バラエティ番組のようだ。息つく暇がない。演じることやマイルールが苦痛になったホームページがたたまれていくさまをみているようだ。ぼくが歳をとって、頭が固くなったせいだろうけど、もうしわけないが、顔の本は、つかいにくい。これは新しいリテラシーが生まれようとしていて、僕にネクストリテラシーを受け入れるリテラシーがないからだろうな。

 ジャケットのないスーツはスーツとはいわない、というぼくの意地に近いものだろうな。意地はなにも生み出さない。なにも生み出さないのがジャストアフターバブルのおたく。(笑)←wじゃない。なぜならぼくはひらがな入力だからだ!←意地
 
 
 ごきげんよう。